「『死神』のアッシュ……ですか?」
「あっれ〜、イオン様ってばご存知じゃなかったんですか? あー、あと他にも『氷刃』のアッシュなーんて呼んでる人たちもいますよ」
先日、前任のアリエッタに代わり導師守護役となった少女の言葉にイオンは疑問を浮かべるばかり。なにしろ彼の記憶では『アッシュ』に付けられた異名は『鮮血』で、『死神』の異名を持っていたのは別の人間だったはずだ。ましてや『氷刃』なんて二つ名は聞いたことも無かった。
「イオン様とアッシュって結構仲が良いみたいだから知ってるとばかり思ってたんですけどぉ」
「僕とアッシュが仲良し……?」
「だってイオン様が病気で伏せられる前、一緒にいるところ結構見かけましたもん。アリエッタなんかも混じってすんごい楽しそうに笑ってたから、てっきり親しいんだと思ってましたけど……違うんですか?」
「…………」
そんな事があったなんて知らない。それが真っ先にイオンの頭に浮かんできた言葉だった。イオンが見聞きした『過去』にはアッシュと被験者イオンが接触したなんて事実は存在しない。
「イオン様?」
「あ、あの、そのっ、……ぼ、僕、実は病気のせいで記憶の一部があやふやになっているんです!」
「ホントですかぁ、なんか言い訳めいてるんですけど? むぅ〜……でもでも、イオン様直々にアッシュを特務師団の団長にするよう掛け合ったっていうのは勿論覚えてますよね?」
「——っ! 僕がですか!?」
なんで本人が驚いてるかなぁ……。そう言いたげな眼差しがさらにきつくなってきたが、イオンは気にしないことにした。こんな記憶と大幅に違う道筋——記憶ではアッシュを団長に推したのはヴァンだったし、任命時期も自分が導師になった後だった——を聞かされてポーカーフェイスでいられるほど役者ではないのは自覚している。
「あの時は反響が凄かったらしいですよぉ。なんてったってダアトきってのいたずらっ子にイオン様から直々のご指名でしょ? その上指名した役職が団長なんて下手に地位のあるポストだったから余計に騒ぎとか大きくなったみたいだし——」
「ダアトきってのいたずら…っ子……? あの、アニス。他の誰かと間違えていたりしません?」
あのしかめっ面がデフォルトで冗談なんかとは無縁そうで真面目一徹な『アッシュ』が『いたずらっ子』?
——似合わない。果てしなくミスマッチだ。というか貴方に何が起こったんですかアッシュ!!
「……イオン様ってばホントに記憶障害なんですねぇ」
……こんなんでこの先ホント大丈夫かなぁこのヒト。
本人に聞こえないように呟かれた呟きをバッチリと聞いてしまい、苦労を掛けてすみませんアニスと心のうちでそっと呟くイオンだったが、今は何はともあれ少しでも情報が欲しい。追求はせずに彼女の口が開くのを静かに待った。
「だいたいアッシュがいたずらっ子なのは、ヴァン総長が親馬鹿っていうのと同じくらい周知の事実じゃないですかぁ。ドコをどうやったら忘れられるんだか」
「でっ、でも僕が復帰してからはそんな素振りは……」
「う〜ん。任務なんかで忙しくてそんなヒマがなかったんじゃないですか? 今は一応師団長ですし……って、あーっ!」
「ど、どどどうしたんですっ、アニス!?」
「ウワサをすれば影ですよぅ、イオン様っ。あれ! あそこ見てくださいって!!」
アニスの指差す方向を見るとなるほど。そこにはコソコソと柱の影に隠れて挙動不審な朱の髪が見え隠れして——
「…………ルーク?」
「違いますって、アッシュですってば!」
「……ところでアニス。彼はどうしてあんなにコソコソしているんでしょうか……?」
「見てれば判ると思いますよー」
そんなこんなで数分。相変わらずコソコソとしている《アッシュ》が真新しい行動を起こすことは無く、辺りにも変化といえるような変化もなくて、イオンは痺れを切らした。
「……なんだか全然動きがありませんね。やっぱり直接聞いてみます」
「あっ、イオン様っ、駄目ですってばぁっ」
アニスの制止も聞かずタッタッタと軽い足音を立ててイオンはアッシュの方へと走っていった。
「……あの」
「——ッ!?」
そして後ろから声をかけると、《アッシュ》はあからさまにビクッっと震えてイオンを見た。
「……ってシンじゃない、イオンか。おどかすなよー、リグレットかと思って一瞬死を覚悟しちまったじゃねーか」
「それは済みませんでした。あの、つかぬ事をお聞きしますが貴方はルーク……なのでは……?」
「……あれ? いや待てよ? アイツはあーでこーだから……このイオンは——」
「あの、ルーク?」
「ええと、そうなると……て、《ルーク》? まさか——」
いやでもまさか……もごもごと視線を地面に向け考え込む《アッシュ》に、少しだけ不安になったイオン。
「ルー……——むぐっ!?」
声を掛けかようとした矢先、《アッシュ》にサッと口を塞がれた。
「……悪ぃ、イオン。ここだとリグレットに見つかっちまうから詳しいことは場所移動してからな」
ひょいとイオンを抱えると迷わず彼はダッシュで逃走にかかった。
「アニスっ、ちょっとイオン借りるーっ!!」
「あーっ、イオン様っ!! ちょっ、このやろーナニさらすんじゃボケェーーッ!!! っていうか、てめーに名前呼ばれるすじあいは無いんじゃ—! イオン様返せーッ!!」
「アニスー、地がでてます」
「はうっ、私ったらイオン様の前なのにぃ〜〜っ」
「イオンなら後でちゃんと返すから見逃してくれー」
「そんなんでオーケー出せるなら導師守護役なんていらないっての!」
「アリエッタだったら快くオーケーしてくれるのに心が狭いぞアニスっ」
「アリエッタが無警戒すぎなんだってばっ」
「てゆーか、俺だって一応教団の団員なんだから信用しろよっ」
「じゃあ、逃げんなーっ」
「ならトクナガのサイズを元に戻してエライ形相で追いかけるのやめろよーーっ!!」
そうして始まった追いかけっこだったが、勝負はすぐに付いた。普段からリグレットと決死の追いかけっこで無駄にダアトの構造に詳しくなっていたアッシュの逃げ切りという形で。
※
そうしてアッシュがイオンを連れてやって来たのは、アッシュお気に入りのお昼寝スポットだった。森に囲まれた少しだけ小高い丘、そのてっぺんにいっぱいの葉をつけた一本の大きな木が根を下ろしており、風にそよがれてサラサラと揺れている。ちょうど木陰になった部分に腰を据えると、真っ先に口を開いたのはイオンだった。
「あの、できれば詳しい状況説明が欲しいんですが……」
モースから入手した情報が『記憶』と寸分違わないものだったから、まさかこんな差異があるとは思ってもみなかった。だが事務的な記録や人づての情報では、人となりが正確に伝わらない事だって多々あるのに『記憶』に頼りきりでちゃんと確かめようとしなかった自分にも否はあるのかもとイオンは思う。
それはともかく、目の前で腰を下ろしているアッシュは困り顔。
「んー……どこから説明したもんかなー。えーっと、一つ聞きたいんだけどイオンは俺の知ってる——エンゲーブで出会って一緒にチーグルの森に行ったイオン……なんだよな? それでティアの瘴気を受け取って——」
——消えてしまった……。
そこまで口に出してしまって明らかに「しまった」という顔をするアッシュに、イオンは気にしないでくださいという視線を向ける。
「じゃあ、やっぱり貴方は僕の知るルークなのですね? ……でもどうしてアッシュとしてダアトに?」
「それがなぁ。俺が『戻ってきた』のって俺が生まれた直後だったらしい。んで、とりあえず目の前に居たえらくちっさいアッシュと擬似超振動起こしてアイツをカンでバチカルの方に吹っ飛ばしたんだけど、俺は逃げ遅れちまってさぁ」
なんでか体が上手く動かなかったんだよな。まぁ逃げられたとしても、それが原因で俺以外のレプリカが作られても困るって考えたらヴァン師匠についてくしかなかったけど。そう軽く続けたルークに暗い影は一つも無い。イオンは少しだけそのことが気になったが、理由には心当たりがあった。
「それで、ヴァンへの憂さ晴らしにイタズラ三昧…というわけですか?」
「ああ、ヴァン師匠には積もり積もった恨みがあるしな。それを考えりゃこの程度のイタズラで済んでるんだから可愛いもんだろ? 俺なんてシンクと比べたら悪どく無いし」
いえ、十分黒いですよルーク。なんて思っても実際に口に出すことができないのがイオンだ。この辺りが、シンクに「良い子ちゃん」なんて揶揄される原因だろう。まぁ、性格が悪いより良いに越したことは無いのだが。
「え? シンクも一枚噛んでいるんですか!?」
「あ、ああ。……えーっと…アイツも記憶があるらしいっていうか……今回は確実に味方というか」
「それじゃあ今回はシンクと仲良くなれるんですねっ?」
「まぁ、今のシンクならお前を無下に扱うこともないと思う。けどあいつがアリエッタと一緒じゃない時を狙ったほうが無難かも。……あいつアリエッタ以外はほとんどアウトオブ眼中になるからさぁ……」
遠い目をして語るアッシュに、「彼、随分変わっちゃったんですね……」とイオンもやや引きつった笑みを浮かべた。けれどそれは喜ぶべき変化だ。
「あー、あとフローリアンも保護済みだから仲良くしてやってくれな」
「フローリアン? 確か……無垢なる者という意味ですよね?」
聞き返されて、イオンが彼を知らない事を思い出しアッシュは苦虫を噛み潰したような表情になった。フローリアンが『ルーク』たちに保護されたのは『イオン』の乖離後だったから。
「……ああ、アニスが名前をつけた。お前と同じなんだ」
あえてイオンレプリカという単語は使わなかったが、それだけでイオンは察してくれたらしい。
「そう……ですか」
その言葉に込められた想いは「生きていてくれてよかった」という喜びか、それとも「シンクのように自分の事を恨んでいるのではないか」という不安か。
「あんま暗くなるなって。フローリアンはシンクと違って素直ないいやつだから、きっと良い友達になれる」
あのアニスが育てた割には裏表が無いし。本人が聞いたら怒りそうな台詞だった。
「それに、どうもアイツにも記憶があるらしいんだよ。これってやっぱりローレライの仕業って考えるべきなのかな?」
「一概には言えないですけど……ルークはローレライから何かしらメッセージを受け取ってはいないのですか?」
イオンとしては完全同位体であるがゆえの繋がりに期待したのだが、そんなのあったらこんなに悩まぬぇーと頭を抱えるアッシュ。
「……ええと。今の所記憶があるのはルークと僕とシンクと……その、フローリアンだけなのですよね?」
「ダアトの人間の中ではって限定条件だとそうなるかな。俺は任務以外じゃここから出られねーから、他の所はそうそう調べられねーし。その任務にしたって明らかにキムラスカ領は外されてる。マルクト領だって人出のある街なんかはあからさまに避けられてる感じだから調べようも無いんだよなぁ……」
本当はバチカルの『アッシュ』たちや、グランコクマのジェイドの様子を見に行きたくてしかたがないのだが、『計画』の始動まで2年もあるこの時期にヴァンたちから不審がられるような行動を取るわけにはいかない。少なくともヴァンたちの計画が始動する時期までは『預言を覆すための駒であることを認めたルークレプリカ』であると思わせておかなければならないのだ。
まぁ、最近のヴァンたちを見ていたら、別にそこまで徹底しなくても大丈夫っぽいかもしれないと思うことしきりだが。
「今の所、記憶が戻っていると判っているのはみんなレプリカですよね……。ということはやっぱりローレライが関係あるんじゃないでしょうか……」
「それが妥当……か。けど、記憶を持ってるのがレプリカだけだなんて寂しいモンだよな」
「そういえばルーク。アニスから貴方の二つ名を聞いたのですが……」
「あー、アレか……」
明らかに「何かの間違いですよね」な視線を向けられ、アッシュは少しだけ申し訳ない気分になった。
「ルークは優しいですから、ディストに好きな二つ名を名乗らせてあげるためとかそういう事なんですよね?」
「ええと……いや、まー、ディストには世話になってるから図らずもそういう事になったのは良い事なようなそうでないよーな……」
「図らずも?」
「あれは——あんな風に俺が呼ばれるのには、それだけの理由がある。そういう事なんだ」
イオンが買い被ってくれたのは嬉しいけど、俺は優しくなんてないよ。
苦笑して呟いたアッシュの横顔を見て、目の前にいるのに彼との距離が遠くなってしまったような錯覚をイオンは覚えたのだった。
——彼の二つ名の由来を知った時、そして《もう一人のイオン》と出逢った時、錯覚は確信へと変わる。
